2006年09月29日

言葉は政治家の玩具か?

読んでみる?安倍首相・所信表明演説の「全文」(iza/産経新聞)
安倍首相:カタカナ言葉は109回 小泉首相の4倍(毎日新聞)

カタカナ語というものは、それを何でもかんでも日本語化しようとすると、
とかく無理が生じかねないほどおかしな表現になることも多いが、
逆にあまりにそれを文言の中で多用されると、
論旨を暈かされたような気分になりやすい


例えば、安倍の所信表明演説の中に再三登場する
再チャレンジ」なる言葉。
どうして「再挑戦」ではいけないのだろうか。
別に「再挑戦」で十分に意味は通じるだろうし、
言葉自体にも相応のインパクトはあるのに、
安倍はいちいち「再チャレンジ」としか言おうとしない
何の意味があってのことだろう。

また、「カントリー・アイデンティティー」なる
和製英語らしき表現も見受けられる。
わざわざ「わが国の理念、目指すべき方向、日本らしさ」などと
補足的に言い換えるぐらいなら、最初からそんな風に言えば良い
何だかそのような言葉で誤魔化されたような気分になる。

カタカナ語だけなら、まだいいように思う。
わけのわからない表現を用いられることほど、
受け手にとって辛い話もない


例えば、「筋肉質の政府」なる表現。
筋肉は肉体的鍛錬でももちろん作ることはできる。
しかし、ドーピングによる偽りの筋肉だって作ることは可能であって、
世界的な各種スポーツ大会でそれはたびたび問題になる。
安倍は政府自らの鍛錬でそれを作りたいのか、
ドーピングに頼ってそれを作りたいのか、
どうもハッキリと語っていない
ように思われる。

また、安倍が自著のタイトルにまで用いていることでも知られる
美しい国」なる表現にも不明朗さが見て取れる。

そもそも、国の形に「美醜」の概念を持ち込むこと自体、
表層的且つ一面的な見方でしか
国家の形成を考えていない
ことの証左
と言えよう。
国の在り方というのは「美醜」の概念だけで語れるものではなく
そのようなカテゴリーを越えた様々な概念が渾然一体となることで、
初めてその国の確固たるアイデンティティが成り立つもの
である。

そのように考えた場合、美しいかそうでないかは、
実際のところ、さしたる問題ではない

美しさ」も重要かもしれないが、それ以外にも多くの大事なことはあり
それらを一つ一つ丁寧に磨き上げていくことで、
より信頼される国家として邁進しなければならない


なのに、「美しい国」という如何にもな美辞麗句
国家の努力すべきベクトルを矮小化するのは、
安倍政権のやる気を感じ取るまでに至らず
何か肩すかしを喰らわされたような気分になる


何より、所信表明演説の全文を見ていて思ったのだが、
言葉の重みがとことん抜かれているような気がしてならない。
もっと言えば、言葉が安倍の玩具みたいにしか見えない
確かに政治家は言葉を弄する職業ではあるが、
果たしてそこまで軽い感覚で良いのだろうか
posted by KAZZ at 20:14 | 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | 国内政治(内閣・政府)

2006年09月27日

理念だけなんて無理

村井・長野県知事:脱「脱ダム宣言」、小規模ダムの建設を検討(毎日新聞)
長野県が脱「脱ダム宣言」…浅川ダム建設を検討(讀賣新聞)

結局、効果的に治水計画を進めるためには
ダム構造を持つものを造るのもやむを得ない場合がある

ということではないのか。

脱ダムの全部を否定することはないとしても、
部分的に見直すのは、ある種の必然だと思われる。
そもそも、双方の記事を見る限り、
今回提示される可能性がある浅川ダムの構造は
かつて前任者でさえ提案したことがある代物なのだから、
それをして現任者を批判するのは筋が違うように思われる。
案のリサイクルをやったと思えばいいだけである。

有効(かもしれない)な策を「脱ダム宣言と整合性が取れない
などという、わかったようなわからないような理由で無しにするのなら、
今回のように普通に提案しようとする方が
まだ合理性はある
だろう。

この件で、村井知事は大いに批判を受けてしまうかもしれない
しかし、これをベースにするのであれば、
それはそれとしてキチンと進めなければならない
だろう。
治水なんて、待ってはくれないのである。

理念だけでどうにかなるなんて代物では、間違ってもない
posted by KAZZ at 19:48 | 島根 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 地方自治一般

2006年09月25日

論功行賞ね・・・

中川秀氏の人脈に期待…「安倍自民」三役決定(讀賣新聞)

内閣の組閣は安倍が正式に総理大臣になるまではできないわけで、
ここではひとまず自由民主党のいわゆる三役が決まったということで。

幹事長・・・中川秀直(森派)
政務調査会長・・・中川昭一(伊吹派)
総務会長・・・丹羽雄哉(丹羽・古賀派)


これにプラスして、国会対策委員長が二階俊博(二階G)になった。

とりあえず、三役については、安倍総裁誕生に一役買ったらしい連中への、
言うなれば御褒美みたいな人事
らしい。

要するに「論功行賞」というやつのようだ。

ちなみに、二階の国対委員長起用は、民主党、特に小沢対策らしい。


で、率直な感想を述べると、
重みがあまり感じられない人事に見えて仕方がない。
両中川は特にそう思えてしまう

中川秀には広い人脈があるというのだが、
それは要するに、この御仁に面倒というか難問に対する調整を
一切合切丸投げしようという意図での起用
なのだろうか。
それにしては何か軽量っぽい感じがする。
まあ、前任者の武部よりはマシかな、という程度だろう。

中川昭の方も、威勢は父親(中川一郎)譲りでいいと思うのだが、
これももう一つ重みが足りない

で、丹羽。古賀ではなく丹羽だというところが、ミソなのか。
まあ、古賀を三役に取り込んだら、取って喰われるとまでは言わないにせよ、
自分に良くない影響が及ぶとでも考えたのかもしれない。

二階については、国対委員長より選対の幹部でもやらせた方が
良かった
のではなかろうか。
小沢の側近だったということは、選挙へのノウハウも持っているだろうし。
まあ、それが何処まで通用する代物かは知らないけれども。


ともかく、今回決まった自由民主党の三役らを見る限り、
うまくは言えないのだが、妙な軽さを覚えずにはいられない
果たして、これが挙党態勢を築くのにどれだけ働けるのか、
少し疑問を覚えたくなる
posted by KAZZ at 20:50 | 島根 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | 国内政治(政党)

2006年09月22日

日本が嫌いな不幸な人たち

国旗国歌:学校強制に違憲判決 教職員401人が全面勝訴
国旗国歌:全面勝訴に決意新た「教育現場に自由を」(以上、毎日新聞)

日本という国に日本人として住んでおきながら、
その国旗であるところの「日の丸」や、
その国歌であるところの「君が代」に対して、
何ら敬意を払えない人々がいる
のは、よく知っている。
彼らはそれを皇国思想やら軍国主義やらの象徴みたいに言うわけだが、
バカバカしくてお話にさえならない

皇国思想や軍国主義の時代は、とうの昔に終わりを告げ
民主主義社会が(形はどうであれ)花開いている昨今に於いて、
まだこのようなアナクロニズムに振り回されている人々がいる。
批判するより、同情の一つもしてあげたくなる
彼らは本当に可哀相だ日本という国を単純に好きになれないのだから。
そんなに日の丸や君が代のあるこの国が嫌だというなら、
お願いなので何処かよその国にでも出ていっていただけまいか


そもそも、この種の人たちは、
日の丸や君が代に取って代わるものを提示できていない
そんなに日の丸や君が代が嫌だというのなら、
その代わりになるものを示してくれればいいのに、
彼らがそんなものを提示したなどという話は、まず聞かない
そのくせ進歩的(と彼らが勝手に思い込んでいる)思想のコミュニティに
引きこもりつつ、「我々は正義だ」などと思い込んでいる

前向きに議論することもなく、その状態に浸って喜んでいる

昨今、とかく愛国心」なるものが騒がれる
確かにナショナリズムという意味でなら、
それが膨脹しすぎると大変なことになってしまう可能性もある
が、
一方でパトリオティズムという意味に於いてのそれは、
本来なら最も大切にされるべきもの
ではないのか。
それらをゴッチャにして論じようとすることに無理がある

日本には固有の文化や風習などがある
それらに目を向けることが、今、どれだけ行われているか
そして教育者である彼らは、そのことに何処まで積極的であるのか
恐らく、まるで知らんぷりするしかないのだろう。
何せ日の丸や君が代にすら敬意を払えないような連中なのだ。
日本固有の文化や風習に目を向けることの重要性など
理解できようはずもない


やはり、彼らは不幸な人たちなのだ。
日本という国に暮らす日本人として、
彼らは著しく不幸な類の人間なのだ

そして、そんな人々が教育者として大手を振って歩いていることに
もっと危機感を覚えなければなるまい

日本はどうなってしまうのか
posted by KAZZ at 19:52 | 島根 ☀ | Comment(2) | TrackBack(0) | 国内事件・社会

2006年09月20日

かくして安倍が総裁になった

「初の戦後生まれ総裁、理想の炎継ぐ」と安倍新総裁(讀賣新聞)
自民党総裁選開票結果(Yahoo!みんなの政治)

民主党みたいに対立候補がいない状況よりは
多少マシなんじゃないかなという程度の選挙で、
結局、安倍晋三が自由民主党総裁になった

何でも得票率7割が目標だったらしく、
それが6割6分程度しか取れなかったので
陣営の中には不満に思う者もいるらしい
が、
それだけ票を取っといて不満を述べるなと言いたいところである。

さて、こうなった以上は安倍がどれだけやれるのか、
その手並みを見ていくしかない
であろう。
その後、ある程度経ってから一定の判断をしてもいいと思われる。
安倍晋三の実力や如何に?
posted by KAZZ at 19:28 | 島根 ☀ | Comment(2) | TrackBack(1) | 国内政治(政党)

2006年09月18日

更新を休みます

本日は更新を休みます。申し訳ありません。
posted by KAZZ at 19:41 | 島根 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 管理人からの告知など

2006年09月15日

無責任な政治家がここにも一人いる

竹中総務相:参院議員辞職、政界から引退へ 首相に伝える
竹中総務相:政界引退へ 脱デフレの「劇薬」役割終わる
(以上、毎日新聞)

むせきにん 2 【無責任】

(名・形動)[文]ナリ
(1)責任のないこと。責任を負わないこと。また、そのさま。
「―行為」
(2)責任を重んじないこと。責任感にかけること。また、そのさま。
「―に引き受ける」「―な発言」
[派生]
――さ(名)
goo国語辞典より)


どうも、竹中平蔵という御仁の辞書には、
このような言葉はない
のかもしれない。
それぐらい、今回の議員辞職表明はあり得ない話だと思う。

もしも竹中が民間人のままであったなら、
小泉の総理退任に併せて自らも大臣にこれ以上ならない、
などと言うのも、まだわからないでもない


しかしながら、竹中は今や国会議員なのである。
それも、彼自身だけに票が集まって国会議員に当選したのではなく、
あくまでも「自由民主党」の「比例代表候補」の一角として
当選を果たしているという身分
である。

かつて民主党の比例代表候補として当選した大橋巨泉という御仁が、
民主党の党運営に不満を漏らしたか何かで議員辞職をしたことがあった。
あれも、よく考えたらただの老人の我が儘に過ぎないのだが、
その時、内閣官房長官だった福田康夫からは
職場放棄」なる痛烈な言葉が大橋に対して寄せられた。
(この部分の参考:Wikipedia「大橋巨泉」)

その時の福田康夫の言い方を借りるならば、
竹中の事例も「職場放棄」と呼ぶに相応しいものではなかろうか。
竹中平蔵個人としてではなく自由民主党を代表する参議院議員として
国会に登壇しているはずの国会議員
が、手前勝手な理由で
任期を残して去る
というのは、職場放棄」に他ならない

大橋巨泉の時も相当に非難されていたはずだが、
自分の役目と称するものが終わったからとばかりに
さっさと辞めてしまえるほど、国会議員という仕事は軽いものなのか

竹中はその程度の意識で国会議員の職務に就いていたのか
だとしたら、これは国会そのものと有権者とに対する
重大なる背信行為
ではないのか。

小泉も竹中の申し出に理解を示したらしいが、
そもそも小泉こそ竹中に対して
国会議員としての任期と職責を全うせよ」と
厳しくたしなめなければならない立場
ではないのか。
それを事実上容認するということは、
小泉もまた国会議員の職務を軽んじているものと思われても
致し方ない
と言えよう。

もっと言えば、ここ最近の日本の(主として経済的な)国策は、
こんな無責任な頭目連中によって決められていた
ということにもなる。
それで本当に良かったのか。
疑問は尽きない。

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posted by KAZZ at 20:07 | 島根 ☁ | Comment(4) | TrackBack(2) | 国内政治(政治家)

2006年09月13日

マナーを知らない連中

まずは、こちらの記事を御覧いただこう。
全文引用する。


Jリーグ観戦:議員ら、うちわに「自民」 横浜マ抗議へ(毎日新聞)

<引用開始>

 日産スタジアム(横浜市港北区)で9日に行われたJリーグの試合で、横浜や川崎市選出の国会議員、神奈川県議、両市議ら十数人と支持者らが「自民党」と書かれたうちわを配ったり、横浜市議1人が観客席で自分の名前を入れたのぼりを立てたりしたため、サッカーファンから「スポーツに政治を持ち込むな」と非難の声が上がっている。ホームチームの横浜F・マリノスは、主催試合の運営管理規定に違反すると指摘。自民党横浜市支部連合会に抗議する方針だ。

 自民党の横浜、川崎両市連は9日、「神奈川ダービー」となった横浜F・マリノス対川崎フロンターレ戦を支持者らと観戦。チームに頼んで、2階席中央に専用席2000席を貸し切り、国会議員や県議も含め関係者約2000人が参加した。

 横浜市連によると、スタンド入り口付近に受付を設けて党ののぼりを立て、「自民党」と書かれたTシャツ姿のスタッフが党名入りの応援うちわを配った。試合開始前には、横浜市議が個人名の入ったのぼりを立て支持者らの目印にした。

 試合後、観戦した県議のブログ(日記風ホームページ)に、サポーターからの抗議の書き込みが3日間で約130件殺到。このため県議は一部を削除した。横浜市連は「政治活動ではなく支持者への感謝の集いとして企画した。政党名などが目に付かないように配慮した」と釈明している。

 しかしF・マリノス側は「宣伝行為をしないという約束で席を確保し、チケットを販売した。Jリーグの規定では、政治的な主義、主張を表示するのぼり、印刷物は持ち込めないと定めている。これに準ずるチームの規定に明白に違反する」と憤っている。【鈴木一生、稲田佳代】

毎日新聞 2006年9月13日 3時00分


<引用終了>

以下、参考資料としてリンクしておく。

■横浜F・マリノス サッカー試合運営管理規程■(横浜Fマリノス公式サイト)
about Jリーグ 観戦マナー(Jリーグ公式サイト)
スタジアムガイド 管理規程(Jリーグ公式サイト)


モラルもないが、デリカシーも足りない連中はこれだから困る
いったい何が楽しくてこんな意味のない行為に走るのか。
Jリーグ及び横浜Fマリノスの観戦規程違反であること以前に、
こんなパフォーマンスに走るセンスがアホらしい

自由民主党なる政治集団の末端には、
こうした場の空気を読む意識の低い者共が集まっている

上が上なら下も下であろう。
支持者をダシに使い、せっせと党の宣伝行為に走る彼らは、
それが自由民主党の党勢拡大に少しでもつながる行為だと
単純に信じているのかもしれない


よほど他に効果的な方法を思いつかないのだろう。

全く、お目出度い話ではないか。


かかるマナーレスな連中に何を言っても無駄ではあろうが、
一人のサッカーファンとして敢えて言わせてもらうなら、
純粋にサッカーを楽しもうとするファンの空間に
土足で踏み込むような真似など、金輪際しないでほしい

それは、他のどんなスポーツの会場でも同じことである
政治的なメッセージを持ち込んではいけないと、
Jリーグの管理規程にも謳ってある
というのに、
それを土足で踏みにじった彼らの罪は非常に重い

彼らの履き違えを容認しているのは、
結局のところ、自由民主党という組織以外の何物でもなく、
その政党はつまり、斯様なまでに
マナーを知らない連中の集まり
だということだ。
posted by KAZZ at 20:03 | 島根 ☔ | Comment(2) | TrackBack(1) | 国内政治(政党)

2006年09月11日

必死なネオコンさんたち

まずは、こちらの記事を全文引用しよう。

テロとの戦い「成果あった」…ブッシュ政権主要閣僚ら(讀賣新聞)

<引用開始>

 【ワシントン=坂元隆】米同時テロ5年を前に、ブッシュ政権の主要閣僚は10日、米テレビの政治討論番組に出演し、ブッシュ政権が米国内外で主導してきた「テロとの戦い」で、米国が安全になったと成果を強調した。

 NBCテレビに出演したチェイニー副大統領は、「我々はすばらしい仕事をした。5年間米国で新たな(テロ)攻撃がないのは偶然ではない」と述べ、大規模テロの再発を防止することができたと強調した。

 ライス国務長官もFOXテレビで、アフガニスタンとイラクで「5000万人の人々を解放した」と訴えた。しかし、チェイニー副大統領は、本格政権発足後も米軍への攻撃や宗派間の武力対立がやまないイラク情勢に関しては、「暴動状態がこれほど長く続くとは予想していなかった」と認めた。

 米上院の報告書でブッシュ政権が主張してきた旧フセイン政権と国際テロ組織アル・カーイダの関係などが否定されたことについては、副大統領は「サダム・フセインが政権を握っていないことで、より良い世界になった」と主張した。

(2006年9月11日13時55分 読売新聞)


<引用終了>

もう引っ込みがつかないのだろう。
ここまで必死になるのは、間違いなく、引っ込みがつかないからだ。
何に、と言われれば、もちろん、大義なきイラク戦争であり、
それを「成果」としてでっち上げることに対して、である。

自分たちの方法論の誤りを率直に認められない彼らは、
恐らく最も不幸な政治家たちかもしれない。
サダム・フセインが政権を握っていないから
彼らは「より良い世界になった」と言うが、
それがとんでもない嘘っぱちであることは、
今更検証するまでもなかろう。

依然としてテロリズムの脅威がなくなっているわけではなく、
新しいイラクにお仕着せの民主主義が根付いているとは言えず、
何をどう評価すれば「より良い世界になった」と言えるのか


互譲も相互理解もなく、エゴだけを通し合おうとする
無茶苦茶な世界になりつつある
のは、いったい誰の責任なのか
何もわかっていないというのは、何と罪なことだろう
posted by KAZZ at 19:57 | 島根 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 海外政治

2006年09月08日

自由民主党総裁選挙

自民総裁選告示、3氏が届け出…安倍氏の優位動かず(讀賣新聞)

てなわけで、何やら出来の悪い芝居を見せられているかの如き
今回の自由民主党総裁選挙
どうせ勝つのは安倍晋三で、
谷垣禎一と麻生太郎は「熾烈な」2位争いを展開する、
という筋書きが出来上がっているように見えて

正直、全然面白くなかったりする

どいつもこいつも、政策云々より、ただ勝ち馬に乗りたいだけという
実に浅ましい考え方
安倍支持を打ち出してみせ
見ているこちらはドッチラケである。
ある意味で、こんなに盛り上がらない自由民主党総裁選挙もないだろう。
(無投票よりもはるかにマシな状況ではあるにしても、だ)

で、その矢先に↓のようなことが「発覚」していたりする。

自民系広告会社、16億円党CMを大手に“丸投げ”(讀賣新聞)

何だかんだ言いつつも、自由民主党は何も変わっちゃいなかった
ワンフレーズポリティクスの欺瞞に騙されてはいけない

外見だけ体裁を繕ってみたって、
中身もそれに伴って変革していかないことには
最終的に誰も彼らを信用しなくなってしまう

今はあれだけ多数の議席を衆議院で持っているからいいようなものの、
これだって1つ間違えば、雪崩式に減らしてしまうかもしれないのである。
安易な勝ち組礼賛主義政策等に於ける一点豪華主義が、
勝ち馬にさえ乗っていれば間違いない」式の
思考停止と判断力低下を生むということに、
自由民主党の方々は、いったいどれだけ気がついているであろうか

今回の総裁選挙では、そのようなことに対する見識も試されている
posted by KAZZ at 20:20 | 島根 ☁ | Comment(0) | TrackBack(2) | 国内政治(政党)

2006年09月06日

おめでとうございます

普段はわけのわからないことばかり書いている当ブログなれども、
本日ばかりは、そのようなことから離れなければならないだろう。
何故って、以下のようなことになったからである。

紀子さま、男のお子さまご出産(産経新聞)

秋篠宮文仁親王殿下、並びに紀子妃殿下の
第3子となる親王殿下の無事の御誕生、
誠におめでとうございます。


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いや、本当に良かった。
全く目出度いことであると心から思う。

それはいいのだが、このような話も出ている。

紀子さまご出産:皇室典範問題の行方は 切迫感薄れる政界(毎日新聞)
皇室典範改正案提出、次期通常国会も見送り(讀賣新聞)

この佳き日に、斯様な議論は
ひとまず置いておくというわけにはいかないのだろうか。
大切な議論ではあるが、今日のところは
新しい親王殿下の御誕生を素直に祝福すれば良いではないか。

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ということで、改めて申し上げたい。

秋篠宮家としては第3子となる親王殿下の無事の御誕生、
誠におめでとうございます。
posted by KAZZ at 19:04 | 島根 ☔ | Comment(0) | TrackBack(2) | 国内事件・社会

2006年09月04日

堀江貴文という虚構の終わり

堀江被告、元側近と真っ向対決へ ライブドア事件(産経新聞)

堀江貴文の初公判があった。
やはりと言うべきか、堀江は無罪を主張したそうである。

初公判がどうであったかは他方で様々に論じられるのであろうから、
その点については割愛させてもらうとして、
今回は起業家であるところの堀江貴文が作り上げた虚構について
少し考えてみたい。
かなりとりとめのない文章になるが、何卒お許し願いたい。


堀江は、その猛烈な個性でカリスマティックな人気を得たが、
その人気を得るために、何を主眼にここまで来たのか

最たるものは、時価総額至上主義という経営方針にあったと思う。
Livedoorは、その方針に基づいて膨脹拡大を続けることで、
企業のM&Aや拡大に新たなる風を起こした反面で、
事業の中心軸が何処に据えられているのかが判別しにくい面を持っていた。
実際、Livedoorは名目的には「IT企業」と言われたが、
主な収益は金融事業で挙げていたりするなど、
名目と実態が伴っていないことでも有名だった。
時価総額を高めるために手段を選ぶことなく膨脹拡大主義を採った結果、
恐らくLivedoor社内でも、何が本業で何が傍系なのか
理解できなくなってしまった
のではなかろうか。
近鉄球団買収騒動辺りから、その辺が露わになってきたように思う。

その後に起きた、例のニッポン放送株買収に端を発した
フジサンケイグループとの融合を狙った一連の動き
は、
本業であるIT関連を充実させたいがためのこともあったと思うが、
それ以上に堀江が構築する虚構を更に膨らませようとしたのでもあろう。

しかし、これが失敗してしまった
いや、完全には成功しなかったと言うべきか。
どちらにしても、堀江以下の描いたグランドデザイン通りには
事が運んでくれなかった
ことだけは確かだ。

そして、それがダメなら政界進出だと、
自由民主党の力まで借りて選挙に打って出たものの、
亀井静香の前に一敗地にまみれる羽目になった
たぶん、堀江貴文という虚構は、
この辺りから終焉の気配を見せていた
のかもしれない。

拡大膨脹を狙うのは、企業経営者の考え方としては一理ある
だが、やはり相応に手段は選ぶべきであり、
それをしなかった堀江と(堀江主導の)Livedoor
やはり咎め立てられることにならざるを得ないだろう。

起訴は悪意に満ちたもの」と堀江は公判で主張したそうだが、
そう言い切るのもどうかと思う
確かに企業の在り方に一石は投じたかもしれないが、
その方法論が行き過ぎると日本の経済的秩序を乱すこともある
ということに対する一種の警告みたいなものだと思えば、
それが悪意に満ちた」起訴とは一概に言い切れまい

個人株主の賠償請求、総額200億円超える ライブドア事件(産経新聞)

その代償として、↑のようなことも起きている。

堀江は、彼のカリスマ性に全てを託した人々のことにも
ある程度の責任を負う義務がある

故に「悪意に満ちた」起訴だなどと毒づいたりせず、
キチンと公判に対峙しなければならない


それが一気に名を売った起業家・経営者としての
彼の責任の取り方
ではなかろうか。


最後に、結局うまくまとまらない文章になってしまったことを
重ねてお詫びしておく。
posted by KAZZ at 19:26 | 島根 ☁ | Comment(0) | TrackBack(2) | ライヴドア

2006年09月01日

6年間の総決算がこれかよ・・・

田中康夫が長野県知事としての任期を終えたので、
讀賣新聞の記事を紹介しつつ、雑感めいたことを書いてみる。

まずは、その讀賣新聞の記事から。
全文引用する。


最後まで“田中流”一般開放した知事室に数百人殺到(讀賣新聞)

<引用開始>

 「脱ダム宣言」など独自の政策で注目を集めた長野県知事の田中康夫氏(50)が31日、任期満了で退任した。「ガラス張り知事室」を初めて一般開放するなど、最後の日まで“田中流”を貫いた。

 県庁1階にある「ガラス張り知事室」は午後2時から約2時間、「知事室ファイナル 誰でも入れるデー」と称して県民に開放された。数百人が殺到し、知事室前は長い列が続いた。室内では、田中氏に記念撮影やサインを求める姿が見られ、中には「知事に戻ってきて」と涙ながらに呼びかける女性も。拡声機で誘導していた職員は「庁内にこれほどの県民が訪れるのは前代未聞」と驚いていた。

 田中氏はその後、県庁玄関で職員や県民らに退任あいさつ。「6年前、一人で落下傘降下してきたようなものだった」と振り返り、「今度は落下傘ではなく、素晴らしい夢を実現させるバルーンに乗り込んで、信州から、信じられる社会を取り戻すため、皆様と共に歩めれば」と締めくくり、今後も政治活動を続ける意向を示した。

 田中氏は2000年10月に初当選し、02年9月の出直し選挙を経て今年8月の選挙で落選した。1日から知事に就任する元防災相の村井仁氏(69)は「ガラス張り知事室」を使用しないとしている。

(2006年8月31日20時28分 読売新聞)


<引用終了>


所詮、見世物小屋の芸人でしかない御仁には、
やはりこの程度の終末がお似合いなのだろうか


パフォーマンスは確かに頻繁にあったけれども、
そこから為政者としての実働に結びつかないまま
無為の6年間を過ごしてきた前長野県知事・田中康夫
らしく、
実にナンセンスな終末の宴が行われたようである。

以前、田中が宣言したとおり、
確かに彼は「広告塔」の役目そのものは果たしたかもしれない
良きにつけ悪しきにつけ、彼は「長野県の広告塔」で在り続けた

だが、それから先への進展が、驚くほどなかった
脱ダムをはじめとする施策に、何一つ成果が出ていない(ように見える)。
確かに改革の契機となったという意味においては
それなりの評価はできるのかもしれない
が、
結果として「それしかない」知事では、やはり問題があろう
それに、そもそもそんなことに6年間もの時を費やす必要もない

無論、田中にも多くの言い分はあるだろう。
だが、それらを仮に差し引いたとしても、
具体的に何をどうしたという功績が見えてこないのは、
やはり田中の執り行ってきた長野県政が
いろいろな意味で停滞と混迷しか生まなかったから
であり、
その最高責任者としての知事として、
田中がスポイルしてきたものを取り戻すことは、
恐らく容易ではない
だろう。

村井新知事も、その辺りはしっかりと把握して
今後の県政に当たっていかないといけない。

路線としては、やはり改革」を基調としたものになるだろうし、
そうならなければ長野県民の皆さんは納得しないだろう。
徒に何でもかんでも造り倒すような箱もの行政からの脱却はもちろん、
どうやって効率的に必要な部分に予算を投下できるのか、
その必要な部分をどうやって見つけていくのか

それらもしっかり精査しなければいけなくなるだろう。
また、田中前知事時代から積み残された課題も相当に多いと思われるが、
これらをどうやってクリアするかも重要である。

とりあえず、何期後になるかは知らないが、村井知事の幕引きが、
こんなナンセンスな宴を伴う空疎なものにならないよう、
村井知事自身を含めて、長野県を動かしていく人たちは
あらゆる意味で気を引き締める必要がある
posted by KAZZ at 20:02 | 島根 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | 田中康夫長野県政

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