2006年09月01日

6年間の総決算がこれかよ・・・

田中康夫が長野県知事としての任期を終えたので、
讀賣新聞の記事を紹介しつつ、雑感めいたことを書いてみる。

まずは、その讀賣新聞の記事から。
全文引用する。


最後まで“田中流”一般開放した知事室に数百人殺到(讀賣新聞)

<引用開始>

 「脱ダム宣言」など独自の政策で注目を集めた長野県知事の田中康夫氏(50)が31日、任期満了で退任した。「ガラス張り知事室」を初めて一般開放するなど、最後の日まで“田中流”を貫いた。

 県庁1階にある「ガラス張り知事室」は午後2時から約2時間、「知事室ファイナル 誰でも入れるデー」と称して県民に開放された。数百人が殺到し、知事室前は長い列が続いた。室内では、田中氏に記念撮影やサインを求める姿が見られ、中には「知事に戻ってきて」と涙ながらに呼びかける女性も。拡声機で誘導していた職員は「庁内にこれほどの県民が訪れるのは前代未聞」と驚いていた。

 田中氏はその後、県庁玄関で職員や県民らに退任あいさつ。「6年前、一人で落下傘降下してきたようなものだった」と振り返り、「今度は落下傘ではなく、素晴らしい夢を実現させるバルーンに乗り込んで、信州から、信じられる社会を取り戻すため、皆様と共に歩めれば」と締めくくり、今後も政治活動を続ける意向を示した。

 田中氏は2000年10月に初当選し、02年9月の出直し選挙を経て今年8月の選挙で落選した。1日から知事に就任する元防災相の村井仁氏(69)は「ガラス張り知事室」を使用しないとしている。

(2006年8月31日20時28分 読売新聞)


<引用終了>


所詮、見世物小屋の芸人でしかない御仁には、
やはりこの程度の終末がお似合いなのだろうか


パフォーマンスは確かに頻繁にあったけれども、
そこから為政者としての実働に結びつかないまま
無為の6年間を過ごしてきた前長野県知事・田中康夫
らしく、
実にナンセンスな終末の宴が行われたようである。

以前、田中が宣言したとおり、
確かに彼は「広告塔」の役目そのものは果たしたかもしれない
良きにつけ悪しきにつけ、彼は「長野県の広告塔」で在り続けた

だが、それから先への進展が、驚くほどなかった
脱ダムをはじめとする施策に、何一つ成果が出ていない(ように見える)。
確かに改革の契機となったという意味においては
それなりの評価はできるのかもしれない
が、
結果として「それしかない」知事では、やはり問題があろう
それに、そもそもそんなことに6年間もの時を費やす必要もない

無論、田中にも多くの言い分はあるだろう。
だが、それらを仮に差し引いたとしても、
具体的に何をどうしたという功績が見えてこないのは、
やはり田中の執り行ってきた長野県政が
いろいろな意味で停滞と混迷しか生まなかったから
であり、
その最高責任者としての知事として、
田中がスポイルしてきたものを取り戻すことは、
恐らく容易ではない
だろう。

村井新知事も、その辺りはしっかりと把握して
今後の県政に当たっていかないといけない。

路線としては、やはり改革」を基調としたものになるだろうし、
そうならなければ長野県民の皆さんは納得しないだろう。
徒に何でもかんでも造り倒すような箱もの行政からの脱却はもちろん、
どうやって効率的に必要な部分に予算を投下できるのか、
その必要な部分をどうやって見つけていくのか

それらもしっかり精査しなければいけなくなるだろう。
また、田中前知事時代から積み残された課題も相当に多いと思われるが、
これらをどうやってクリアするかも重要である。

とりあえず、何期後になるかは知らないが、村井知事の幕引きが、
こんなナンセンスな宴を伴う空疎なものにならないよう、
村井知事自身を含めて、長野県を動かしていく人たちは
あらゆる意味で気を引き締める必要がある
posted by KAZZ at 20:02 | 島根 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | 田中康夫長野県政

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