2006年09月04日

堀江貴文という虚構の終わり

堀江被告、元側近と真っ向対決へ ライブドア事件(産経新聞)

堀江貴文の初公判があった。
やはりと言うべきか、堀江は無罪を主張したそうである。

初公判がどうであったかは他方で様々に論じられるのであろうから、
その点については割愛させてもらうとして、
今回は起業家であるところの堀江貴文が作り上げた虚構について
少し考えてみたい。
かなりとりとめのない文章になるが、何卒お許し願いたい。


堀江は、その猛烈な個性でカリスマティックな人気を得たが、
その人気を得るために、何を主眼にここまで来たのか

最たるものは、時価総額至上主義という経営方針にあったと思う。
Livedoorは、その方針に基づいて膨脹拡大を続けることで、
企業のM&Aや拡大に新たなる風を起こした反面で、
事業の中心軸が何処に据えられているのかが判別しにくい面を持っていた。
実際、Livedoorは名目的には「IT企業」と言われたが、
主な収益は金融事業で挙げていたりするなど、
名目と実態が伴っていないことでも有名だった。
時価総額を高めるために手段を選ぶことなく膨脹拡大主義を採った結果、
恐らくLivedoor社内でも、何が本業で何が傍系なのか
理解できなくなってしまった
のではなかろうか。
近鉄球団買収騒動辺りから、その辺が露わになってきたように思う。

その後に起きた、例のニッポン放送株買収に端を発した
フジサンケイグループとの融合を狙った一連の動き
は、
本業であるIT関連を充実させたいがためのこともあったと思うが、
それ以上に堀江が構築する虚構を更に膨らませようとしたのでもあろう。

しかし、これが失敗してしまった
いや、完全には成功しなかったと言うべきか。
どちらにしても、堀江以下の描いたグランドデザイン通りには
事が運んでくれなかった
ことだけは確かだ。

そして、それがダメなら政界進出だと、
自由民主党の力まで借りて選挙に打って出たものの、
亀井静香の前に一敗地にまみれる羽目になった
たぶん、堀江貴文という虚構は、
この辺りから終焉の気配を見せていた
のかもしれない。

拡大膨脹を狙うのは、企業経営者の考え方としては一理ある
だが、やはり相応に手段は選ぶべきであり、
それをしなかった堀江と(堀江主導の)Livedoor
やはり咎め立てられることにならざるを得ないだろう。

起訴は悪意に満ちたもの」と堀江は公判で主張したそうだが、
そう言い切るのもどうかと思う
確かに企業の在り方に一石は投じたかもしれないが、
その方法論が行き過ぎると日本の経済的秩序を乱すこともある
ということに対する一種の警告みたいなものだと思えば、
それが悪意に満ちた」起訴とは一概に言い切れまい

個人株主の賠償請求、総額200億円超える ライブドア事件(産経新聞)

その代償として、↑のようなことも起きている。

堀江は、彼のカリスマ性に全てを託した人々のことにも
ある程度の責任を負う義務がある

故に「悪意に満ちた」起訴だなどと毒づいたりせず、
キチンと公判に対峙しなければならない


それが一気に名を売った起業家・経営者としての
彼の責任の取り方
ではなかろうか。


最後に、結局うまくまとまらない文章になってしまったことを
重ねてお詫びしておく。
posted by KAZZ at 19:26 | 島根 ☁ | Comment(0) | TrackBack(2) | ライヴドア

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