2006年06月28日

派閥の生まれ変わりは派閥

まずは以下の記事を全文引用させてもらう。

首相、靖国参拝は「総裁選の争点にならず」(産経新聞)

<引用開始>

 【オタワ27日=石橋文登】小泉純一郎首相は27日夜(日本時間28日午前)、オタワ市内のホテルで同行記者団と懇談し、自らの靖国神社参拝が自民党総裁選の「争点になると思わない」と断言した。また、総裁選に絡む派閥の動きに対し、「派閥が集まって誰かを支援しようとしてもまとまらないのではないか」と述べ、総裁選を通じて派閥再編が進むとの見通しを示した。
 首相は、自らの靖国参拝への批判に対し、「靖国参拝すれば首脳会談に応じないことが、いいかどうかという問題だ。参拝するなということは中国の言い分に従いなさいという人たちだ。果たしてそれでいいのか」と反論し、「総裁選の争点にしたがる人もいるだろうが、争点にしてどうなるのか。個人の自由だ」と総裁選と絡める動きを牽制した。「A級戦犯」分祀問題と自らの参拝は「別の問題だ」と述べた。

 派閥については「今までの派閥を再編するのは無理ではないか」と指摘し、「(総裁選後に)派閥は機能も役割も大きく変わっていく。新しい総裁ができると今までの派閥と違った人の寄り合いができ、派閥の新しい再編につながっていくのではないか」と分析。さらに「今の派閥会長クラスはいくら派閥を作ろうとしても今までの機能は発揮できなくなる」と述べた。また、首相自身は退任後無派閥を貫く考えを示し、「でしゃばらずに控えめに新総裁を支援していく」と語った。

 一方、日銀の福井俊彦総裁については「(職責を全うすべきだとの考えに)変わりない」と述べた。

(06/28 11:21)


<引用終了>

靖国だの、日銀のお間抜けな総裁だの、そんな話はどうでもいい。
今回の本論とは全く無関係だからだ。

小泉は談話の中で派閥のありようについて述べているわけだが、
結局のところ、彼の論をそのまま何も足し引きせずに読んだら、
派閥の生まれ変わりは派閥にしかなり得ない」と言えるのではないか。

小泉が「脱派閥」だ何だと言ってみたところで、
「派閥」の跡目を継ぐのは「派閥」でしかないのであって、
機能や体制がどのように変化しようとも、
それは結局「派閥」の名の下に進化成長するしかない
そして自由民主党の政治家連中は、結局その「派閥」という集まりに
何らかの形で依存をするしかないようにできている
のである。

例えば、昨年の選挙で当選した新人議員の「83会」というのがあるが、
あれの何が「派閥」とは違うというのだろう
あれも立派に「派閥」の一種ではないか。
所属議員同士が相互依存をし、その集まりに加盟することを
1つの「箔」と考えている以上、あれは「派閥」以外の何物でもない。

現状の派閥横断的に勉強会だの議員連盟だのと作ったところで、
それが最終的に何らかの形で整理統合されたら、
行き着く末は「派閥」にしかならないのではないか。

そう考えると、いくら小泉が「派閥の解消」などと大見得を切っても、
そう簡単に「派閥」がなくなるとは思えないし、
そもそも形がどうあれ「派閥」を完全になくすことは不可能であろう。

ともかく、現行の形であろうが、新しい形であろうが、
「派閥」が今後も生き延びていくことだけは明白で、
それは従来の認識と実は大して変わらない代物にしかならない
小泉が、そういうことも含めて今後の派閥の在り方を述べているとは
とても思えない
と感じるのは、そのためだ。
posted by KAZZ at 20:52 | 島根 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 国内政治(政党)
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