2005年03月21日

国民の責務について考えてみる

憲法に「国民の責務」なるものを盛り込もうという話が、
自由民主党の新憲法起草委員会でまとめられた要綱素案に盛り込まれた


「国民の責務」とは何ぞや、という話だが、
いわゆる「国民の義務」とは違い、法的な拘束力はないそうだが、
幅の広い抽象的な訓示のようなものらしい。

責務には、以下の3点が主として盛り込まれるようだ。

国防
社会的費用負担
家庭の保護

「国防」などというのは、むしろ義務の方が合うような気もするが、
責任意識の一端として加えられることは良いのではなかろうか。

「社会的費用負担」についても、現在義務として列挙されている
「納税」と同様の扱いで良いかと思う。

さて、問題は「家庭の保護」である。
こういうものは、果たして法律で縛らなければならないものだろうか。
むしろ社会全体の課題として、広く論じられるように
マスメディアなどが様々な視点から取り上げるべきことだろう。
また、「個人の尊厳」とゴッチャにして考えている向きがあるが、
それも何かがおかしい。
「家庭」というベースがあっての「個人」であることを
改めて確認できるようにしていけば良いかと思う。

一方、政教分離の原則が緩和されるらしい。
それは果たしていいことだと言えるのか。
私は、不必要に宗教の力学を政治に持ち込むべきではないと思っている。
よって、政教分離の原則は厳格に維持されるべきだと思う。
どうせ、公明党あたりにせっつかれて盛り込んだのだろうが、
情操教育の内容向上など、政教分離などとは何ら関係がない。
宗教を政治の道具に(あるいは、その逆も)してはいけない。

また、新しい権利として、以下の権利が列挙された。

環境権、知る権利、プライバシー権、犯罪被害者の権利、その他

環境権やプライバシー権は、当然のものとして認知されるべきだし、
犯罪被害者の権利も、もっと早くから認められて然るべきだった。
その意味で、新たな権利として確立される意味は大きい。

一方で、問題になりそうなのが「知る権利」である。
確かに、それ自体は非常に重要な権利であろう。
しかし、問題はこれを盾に取ったマスメディアの暴走を、
いったい誰がどうやって止めるのか、という点にある。
そこで、個人情報保護法が制定されようとしているわけだが、
マスメディアは一斉にこれに反発している。

「知る権利」は必要だけれども、それはあくまでも
「必要な情報」についてのみ適用されるべきで、
「不必要な情報」までその権利を用いて暴き立てるべきではない。
確かに情報を「知る」ことも大切だが、
情報リテラシー能力について何も論議がない中で、
単なる情報のバラ撒きを加速させるために
「知る権利」を確立しようというのであれば、私はそれに賛成しない。
posted by KAZZ at 21:04 | 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | 国内政治(その他)
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