2005年04月27日

「知る権利」について考えてみる

知る権利

マスコミがよく発する言葉である。
主に過剰な取材などを咎められた際に
この言葉を使って反論するケースが多い。
もう少し正確に言うなら「国民の知る権利」となるのだが、
マスコミがこの言葉を使うと、どうも嘘臭く聞こえてしまうのは何故だろう。

以下、私のかなり浅薄な推論にしばしのおつきあいを願いたい。

マスコミは一般的に「国民の知る権利」を代理行使する立場だと言えるのだが、
良識ある一般の国民は、その権利を濫用してまで行使したいとは思わないし、
過剰な暴露主義を良しとしない場合が多い。

過剰な暴露主義と言えば、真っ先に思い浮かぶのが
かつてFFFETの5大勢力だったが、
(フォーカス、フライデー、フラッシュ、エンマ、タッチ)
今はFFの2大勢力だけになった写真週刊誌であろう。
(フライデーとフラッシュのみ。他は全て休刊または廃刊)

ビートたけしとたけし軍団の講談社殴り込み事件も遠い昔の話になったが、
あれなどは行き過ぎた暴露主義が歪な方向に向かった結果として
起きてしまった事件であり、たけしらの怒りの対象となったフライデーは、
結局今日に至るまで、彼らの提示する「ジャーナリズム」が
どこを向いているのかを明らかにしないまま延命している。
その結果、現在のフライデーは「ジャーナリズム」の末席にも居られず、
かといって「エンターテインメント」にもなりきれないまま、
大日本雄弁会講談社のプライドのみで仕方なく延命している有様だ。
これならば、変に「ジャーナリズム」を標榜しないフラッシュの方が
まだ賢明な生き延び方をしているように思える。

ともかく、フォーカスやフライデーの成功以後、写真週刊誌は
いつの間にか「知る権利」の行使の尖兵を気取るようになり、
覗き見趣味や露悪趣味を「知る権利」の行使の一環の如く言いくるめ、
行き過ぎた取材行為に走るようになってしまった。

だが、その名の通り週刊である写真週刊誌自体は、
まだ即時性を要求されない分、マシな存在と言えるのかもしれない。
この写真週刊誌の悪いところだけを真似し、
即時性と衝撃度を挙って競うようになったのが、テレビである。

事故や災害の被害者にマイクを突きつけて話を聞こうとする
レポーターなりアナウンサーなりがいるとする。
彼らの論理では、「国民(視聴者)は被害者の声に耳を傾けたいのだ
などという思い込みと、「それを如何にセンセーショナルに伝えられるか
などという既にジャーナリズムとは乖離したような感覚によって、
時に暴走気味の取材行為に走ってしまうことになり、
その結果として取材対象者に不要な苦痛を与え
なおかつとても「報道」とは呼べない代物が映像として残ることになる。

また、新聞も似たり寄ったりな部分は否定できない。
新聞は電波メディアに比べれば即時性では劣ると思われてきたが、
Webという新たな武器を手に入れた彼らにとって、
即時性の面でもテレビに劣らない能力を身に着けられるようになった。
それは確かに彼らにとってメリットには違いなかったが、
一方で、即時性に依存するあまり、報道の質的低下は避けられなくなり、
却って粗を世にさらけ出す結果になることが多くなった。
その意味では、新聞もテレビと同罪に近いと言えよう。

事故や災害が起きた場合、それを見聞きする我々が本当に欲するものが
いったい何なのかということを、連中はまるでわかっていない。
被害者たちにバカの一つ覚えのような質問をぶつけることなど、
国民は誰も要求などしていない。
被災地がどういう状況下にあり、不足しているものは何であり、
救助や復興のために如何なる物資や人出が必要かを知らせることが
「報道」の本分であって、そこから救援や復興支援、
あるいは対策の構築への足掛かりができることだってある。
そういう時にこそ「知る権利」は行使されるべきであり、
被害者の神経を逆撫でするようなインタビューを敢行することしかできない
自称「ジャーナリズム」など、全く以て必要ないものである。

以前からずっと、そういう自称「ジャーナリズム」による
不健全な「国民の知る権利」の行使を良く思えないでいたが、
昨年来の例えば台風や地震、津波、更には先日の尼崎の列車脱線に至るまで、
数多い機会を全く向上も進歩もないままに同じような手法で突っ走り、
二言目には「知る権利」だの「報道の自由」だのと言い立てる、
あの厚顔無恥なマスコミ連中、特にテレビや新聞の連中が私には許せない。

「知る権利」の代理行使者であることを標榜するのなら、
もっとまともな行使の仕方をしてみろと言いたい。
無神経に被害者の感情を逆撫ですることや、
被害者の疲弊度合を増すことを、我々は一切要求していない。
テレビにせよ新聞にせよ、公器として存在する以上は、
それに相応しい方法で「ジャーナリズム」を全うし、
且つ「国民の知る権利」を正しく行使してもらいたい。

この分だと、もし日本で戦争が起きてしまった場合に、
例えば攻撃を受けた都市にのこのこ馳せ参じた挙げ句、
「攻撃を受けてしまってどう思われますか?」
などというバカバカしいにも程がある質問しかできないような
自称「ジャーナリズム」が溢れかえるだけで、
何一つまともな「情報」など得られやしないに決まっている。
そんなマスコミなら、とっとといなくなってもらった方がいい
posted by KAZZ at 20:33 | 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | マスコミ・メディア
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