2005年07月07日

表現者であることを放棄した田中康夫

4日の長野県議会一般質問で、おかしなやりとりがあったらしい。
以下、7月5日付信濃毎日新聞の記事から引用する。

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7月5日(火)「報道被害」の相談窓口設置 知事「検討すべきだ」

 田中知事は4日の県会一般質問で、北山早苗氏(あおぞら)が「報道被害」の相談窓口(110番)を設置する考えがないかただしたのに対し「私どもが取り組むべき問題。具体的なことを検討すべきと思っている」と述べた。

(以下略。引用ここまで。なお、太字は引用者による)

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要するに、北山議員はマスコミによる強引な取材などによって
被害を受けた人らの救済のための窓口を設ける気はないか、
と田中康夫知事に質したところ、田中知事は答弁で
上記引用のように答えたようで、更に知事は、
報道機関以外からの被害についても相談の対象に加える
というようなことを示唆したらしい、と記事にはある。

確かに、先日長野県公安委員の職を辞されたばかりの、
松本サリン事件被害者・河野義行氏の例を引くまでもなく、
誤った報道による被害からの回復はなかなか容易ではないし、
あるいは事故や災害に遭った人たちに
マスコミが容赦なくマイクやカメラを向ける様子
は、
なるほど、あまり褒められたものではない
できればそっとしておいてほしいと思っている人も
中にはいるし、そうした人々にまで一律に
取材を申し込むことは控えて当然の話だ。

ただ、それはそれで理解するし、何とかしなければいけないが、
だからその役目を地方自治体がやらなければならないのかというと、
それは少々違うような気がする。


本来、こうしたものは、公正な第三者機関によって行われるのがスジで、
彼らが窓口となってメディアや表現者に働きかけるなどの
実際の対応に当たらなければならない。
もし、対応に改善が見られないなどの悪質な場合は、
彼らがアシストをする形で、被害を受けた人(たち)が
司法の場に訴え出られるような体制を作っていく必要がある。
しかしながら、それを行政主導で行ってしまうと、
結果として「行政による報道・表現の自由への介入」などという
レッテルを貼られてしまう可能性だってある。

御存知のように、憲法によって表現の自由であるとか
報道の自由は留保されており、政治がこれに介入することは
憲法の精神から言っても認められないのは自明の理だ。

であるにもかかわらず、北山議員は「報道被害救済」を理由に
こうした行為を是認してはどうかと田中知事に問うており、
知事も知事でそれを考えても良いと回答している

では、仮にそうした相談窓口が設置されたとして、
例えば次のような相談が寄せられた場合の対処はどうするのだろう。

田中康夫知事が某週刊誌上に連載している記事の中で
某所にて面会した自分のことを書かれたが、
その内容を読むと自分の意図しないことが多く書かれており、
早速その内容について出版社と田中知事に対して抗議すると共に
当該記事内容の修正または削除を求めたが、
出版社はともかく、田中知事は「当方の感想を書いたまで」
として内容の修正に応じてもらえなかったが、どうすべきか?

(注:上記はあくまで架空の内容です)

やはりこういう場合、相談を受けた側としては、
記事を書いた田中知事に対して修正なり削除なりを求めるのだろうか。
それとも知事の鶴の一声で、何も対応しないのだろうか。

まあ、それは極端な事例だとしても、
そのようなことが結果として起きた場合の判断を
果たして行政が「こうしなさい、ああしなさい」と
指図できるようなものなのだろうか。

また、こうした窓口の存在が拡大解釈されて、
将来的なマスコミや表現者の選別及び排斥または優遇などという事態に
直結する可能性だって、決して否定できない。

そもそも、「脱・記者クラブ宣言」なるものを堂々と提示して、
あまねく表現者に平等な取材と表現の機会を提供するという
(もっとも、実際にそうなっているとは言えないようだが)
自称」画期的な方策を打ち出したのは、いったい何処のどなたなのか?

他ならぬ、田中康夫その人ではなかったのか?

それが数年もしないうちに、報道や表現の自由に対して
一定の枷をはめるような真似
をしようとするというのは、
彼の表現者としてのオープンな(と彼自身が思い込んでいる)
スタンスから考えてみても、非常に違和感がある

表現者としての田中康夫は、
いつからこんなくだらない戯言賛同するようになり、
且つこのような、ともすると非常に重大な危険性を孕むような発想
安易に乗ろうとするようになったのだろう。
この点を考えても、表現者としての田中康夫には信頼が置けないし、
よしんば彼が長野県知事の立場を優先させているとしても、
彼本来の立脚点であるはずの「表現者」という部分を無視し、
表現者への安易な規制にもつながりかねない発想を
追認するような言辞を述べられるという神経がわからない。

どうやら、このやりとりにおける答弁を見る限り、
田中康夫は自身のベースであるはずの「表現者であること」を、
完全に捨ててしまったのかもしれない。
だとすると、もはや彼を表現者と見なすことはできない
よって、彼は「表現者」または「作家」の肩書きで行っている
全ての雑誌連載やメディアへの露出を止めなければならない。

なぜって、彼は表現者であることを放棄したのだから。
posted by KAZZ at 00:16 | 島根 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 田中康夫長野県政
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