2005年09月30日

責任転嫁

価値観判断哲学が違うんだそうだ。

何のことかと思ったら、
田中康夫が長野県知事と新党日本の代表職を兼務していることに
長野県民の8割近くから反対意見が出ているにもかかわらず、
それを未だに続けていることについて、
頭書の理由を挙げて反論した
ということらしい。

しかも、それが理解できなければ「仲良しクラブ」でもやれば良い
などと言い切った挙げ句、全国の先駆けとして進めるかどうかは
県民の意識にかかっているとまで言い切っている


この期に及んでまだそのようなことを言い出すとは、
田中も諦めが悪いというか、
執着心だけは異様に強いとでも言うべきか、
とにかく呆れるしかないわけだが、
そもそも田中が再三にわたってスローガンとして掲げてきた「改革」が、
何ら目に見える成果を県民にもたらしていない
にもかかわらず、
そのことを長野県民の意識の問題にすり替えなければ話せないという
田中自身の責任意識のなさ
であるとか、
自身を佐久間象山に準えて話そうとする改革の英雄を気取る姿勢について、
なぜ田中自身の口から説明の言葉が出てこないのだろう

結局、田中の論法では、田中の言う「改革」が進まないのは、
田中自身や彼の行政に何らかの問題があるからではなく、
長野県民の意識に問題があるから
だということになり、
田中本人には何ら責任が生じないと田中が認識している以上、
その責任は長野県民が負うべきということを言いたい
らしい。

知事様は気楽な立場でおよろしいものだ
何かうまくいけば全て自分の手柄で、うまくいかなければ
「職員が悪い、県民が悪い、誰それが悪い」などと言って
他者に責任転嫁すれば済む本気で思っている

木製ガードレールやコモンズ支援車の予算がはねつけられたのも、
脱ダム宣言とそれに伴う施策がうまくいっていないのも、
百条委員会を立ち上げられてしまったのも、
新党日本が先の選挙で議席をろくに取れなかったのも、
五輪帳簿問題の進展が全くないのも、
田中にとっては全て自分以外の誰かのせいなのだろう。
自己批判であるとか総括の精神がない田中にしてみれば、
必然的にそうならざるを得ない
ようである。

善良なる長野県民にしてみれば不幸な話ではあるのだが、
以前に比べれば、彼らの耳目も肥えてきているために
こうしたことに対する批判的な意見もそれ相応に出てきている
あんな知事ではダメだと多くの人はわかっている
だからこそ、あのような発言をすることによって
長野県民相手に無用の八つ当たりをすることしかできない
のかもしれない。

どうやら末期症状というヤツが出ているのだろう。
もちろん田中康夫に、である。
そろそろ「改革ごっこ」から手を引いてもらう時期が来たようだ。
posted by KAZZ at 21:07 | 島根 ☁ | Comment(2) | TrackBack(0) | 田中康夫長野県政
この記事へのコメント
そんなに国政やりたきゃ知事辞めて議員に立候補すれば?と素人の私は思うんですが・・・きっと価値観や判断や哲学が違うんでしょうなぁ。
長野県民にはご苦労様としかいえませぬ・・。

大阪の府知事も大概デンパな人ですけどね(泣)
Posted by 佐倉純 at 2005年10月01日 00:49
田中に比べたら太田のおばさんはマシですよ。
国政云々より、田中の場合は目立ちたいだけなんですから。

知事の権限というのは非常に大きいんです。
なまじ国会議員になるより知事になった方が良い
などと考える人もいるぐらいですから。
田中もそれがわかっているから
知事職を離れるのが嫌なんだろうと私は思います。
Posted by KAZZ at 2005年10月01日 06:52
コメントを書く
※いただいたコメントは必ず拝読しております。
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※半角英数字のみのコメントは投稿できません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。